平間わんぱく少年団とは

代表者・山本忠利のご紹介


山本 忠利

わんぱく少年団の代表山本忠利は2008年4月現在67才。
少年団を始めたときは、従って37才である。

 

山本は電力会社に働きながら、20才の時に川崎市幸区にある京浜協同劇団に加わる。
働きながらアマチュア演劇を続け、その中で和太鼓にも出会う。
演劇ではマンガ「はだしのゲン」を脚色した「麦の穂のように」で初めての脚本を書く。この作品は川崎・横浜・茅ヶ崎で上演され8000名の人が鑑賞した。
その後、フリースクールの実践活動を取材した「旅☆自分を探しに」を劇作、上演。
浅田次郎氏の「鉄道員(ぽっぽや)」も映画に1年先駆けて演劇として脚色上演した。

 

平間わんぱく少年団は、平間学童保育の卒業生の父母等で結成した。
当初は様々な体験をさせたいという親の願いで始まった。山本は和太鼓を伝承する役割をもって参加していた。まだ週休2日制もなかった頃で、他の親たちの参加が難しくなる中で、3交代勤務をしていた山本の和太鼓だけが残り、今日の太鼓の少年団になった。当初から30年子どもたちと関わり続けている。

 

少年団が15年ほど活動したところで、もっと太鼓を続けたいという若者と、山本が指導した中原市民館の太鼓教室の卒業生、地域の太鼓愛好者が加わって「和太鼓祭音」を結成した。平間わんぱく少年団と和太鼓祭音は兄弟集団として、様々なイベントへの出演を一緒にやってきた。可愛らしさが喜ばれる少年団と、勇壮な力強さを表現する若者たちの演奏が相まって、喜ばれた。

 

「和太鼓祭音」は舞台公演を目標にして練習を重ね、山本の構成演出、安達元彦の音楽で2000年に初めての舞台公演「祭りを舞う・祭りを打つ」を発表する。
これ以降、2002年「ふるさとは祭色」、2004年「風よ祭り伝えよう」、2007年「一つの太鼓と子守り唄」といずれも山本の構成演出で舞台公演を続けている。

 

山本の創る舞台は、演劇活動を通じて得た経験を和太鼓の舞台にも生かしていて、子どもたちの小さなミュージカルを挿入するなど、民謡、民舞、合唱、朗読、子守り唄など、これまでの和太鼓の舞台になかった要素も採り入れ、躍動的で伝統の匂いが息づく舞台になっているという、好意的な評価を得ている。

 

山本は「30年続いたのは、太鼓を叩きたいという子どもたちの要求もあったが、それを支える地域の温かさ、小中学校、子ども文化センター、商店街、町内会等々、たくさんの人がいて、声をかけてくれ、いろいろな形で応援してくれているから出来たこと」話している。